ある社会人の飲み事情

ikeokawachi59112007-10-06

今週は珍しく会社の先輩方と2回飲みに行った。営業課の先輩曰く昔は毎日のように飲み明かしていたそうだけど、ここ5年ほどで回数がめっきり減り、今では歓送迎会や忘年会シーズンを除けば滅多にないらしい。まあ、お酒の弱い僕にとっては、社会人になる前このことが一番の心配事だったからほっとしたけど、それでもやっぱり避けられないわけで、飲みに行くときは大げさだけど「覚悟」してそれに臨む。でも、最近は会社の人とだいぶ打ち解けてきたこともあり、お酒の席が以前ほど苦じゃなくなってきた。ある程度管理職のひとたちと会話できるようになったし、わからない話題(半分以上)は適当に相槌打って笑顔作って受け流す術も身についてきた。それに無理に飲ませるような人がいないので自分のペースで飲めるっていうのもありがたい(僕の場合ビール2杯と焼酎1杯飲めば大体お開きの時間になる)。
そんな席でひとつ気になる話題があった。ある先輩が僕に社会人になってどうだ?って聞いてきた。僕は、正直まだ学生気分が抜けていないし、歳の割には子供だと思います、と冗談半分本心半分で答えたら、課長が「みんな、そんなもんやで」と言ったので少し驚いた。そのあと課長は、この歳だからこれは言っちゃいけないとか、こんな行動はとっちゃいけないと思うだけで、気持ちは学生のままいってしまう、と付け加えた。考えてみれば案外そんなものなのかなあと思ってしまう。これは年齢だけの問題にとどまらない。地位とか名誉とか職業もそうだろう。一般企業の課長には「課長」の、OLには「OL」の、政治家には「政治家」の、アイドルには「アイドル」の、アーティストには「アーティスト」の振舞い方がそれぞれ社会から用意されていて、そういう要求に能動的というよりもむしろ受動的に応えている(演じている)に過ぎないんじゃなだろうか。だからこそ、僕らは素の自分と社会との折り合いをつけるのに苦労しているのだし、いろんな葛藤が生まれるのだと思う。そして、そういう枠組みから少しでも外れれば、多大な損害を被るし、場合によっては生きていけなくなる可能性だってある。もっと恐ろしいのは、そういうことにあまりにも敏感になって自分で自分の不自由を増やすことだろう。理想としては、広い視野を持って、周囲や社会からの要求を適当に流して、やりたいことをやって生きるってのがいいのだろうけど、本当に難しいよね。




友達が大量に音楽を送信してくれた(ありがとう!)。またまたサニーデイ・サービスだけど。スロウ・ライダーって曲いいね。演奏がほどよくゆるくて、ローファイな感じは狙ってるのかな?とにかくそういうアレンジが曲にぴったりで、バンド(というか曽我部さん?)のセンスの良さを知るにはもってこいの一曲。あとはブルース・スプリングスティーンから名も知らぬテクノ(ダンス?)まで幅広く送ってくれて、彼の深ーい音楽愛を再確認すると同時に、自分って全然聴いてないないし、偏ってるなあと思い知らされた。自分のオンボロパンコンの状態が不安やけど、また送ってください。